美開運メイクで、じぶんをもっと輝かせたい方へ

「美開運メイク・レッスン」

美開運メイクアップアーティストとマンツーマンでおこなう「個人レッスン」と美開運メイクアップアーティスト1名が、二人以上のお客さまにレッスンする「グループレッスン」がございます。

※表記価格は税別です











体験された方の声

失恋でお肌ブツブツ、浮き出すシミ・そばかす
美開運メイクで一転、婚活パーティで超絶モテモテ


京都府 山本早希さん


失恋で、私のハートもお肌もボロボロに……
 最近、失恋をしました。
食欲なし!眠れない日が続き、お肌にブツブツ、シミそばかすも浮き出る、浮き出る。それでも母に心配かけないように、そっと悲しみと戦っていました。
 母は母で知らん顔をしながら、心配していました。
「美開運メイクしてみる?」
と、母に言われて、レッスンを受けてみました。
 美開運メイクをしてもらって鏡を見たら、自分がニコっと笑っていたので驚きました。
洗顔後の顔を鏡で見たときは、
「なんや~! この肌ぜんっ然違う~」
と叫んでしまいました。それぐらい、キレイだったのです。

気になっていた人とカップルになり、7人の男性からアプローチ
 なかなか失恋から立ち直れずにいたのに、美開運メイクをしてもらったら、「私が泣いていても相手の人は夜も寝てるし、ご飯も食べてる!な~んかアホらしいやん!(京都弁) 頭がスッキリしてきた!あ~お腹すいた!」
って、言葉が出てきました。
 そのあと、仕事がお休みの日に、一人で婚活パーティに行ってきたんです。
男の人は15人参加のパーティで、最後に気になる人を選ぶのですが、なんと!私、気になる人とカップルになっちゃいました。
しかも、それ以外の男性七人から連絡先の交換をお願いされました。自分でもビックリするぐらいモテモテ状態。美開運メイク、めっちゃすごいです。



あれる子どもが穏やかにやさしくなり、
冷戦中の夫とも劇的LOVE


福岡県 三人の子どもをもつママさん


美開運メイクで〝群を抜く好感度〟職場であこがれられる人に……
 美開運メイクのレッスンを受け、毎日朝のメイク時間が楽しくて朝からテンションあげあげになります。
 職場に四月から新人さんも入って指導をしているんですが、みんなから私みたいになりたい、って。
子どももいて、仕事もできて、あこがれる~って、うれしい言葉をかけていただけますっ
 時給もあがり、ますます働きやすい職場になりました。

新婚時代に戻った、みたい
 一番の変化は、子どもたちです。
とくに次男くんは、とにかく何でも破壊してました(笑)。机、壁に穴、リモコンは飛ぶし、ホウチョウを出してこようとしたり。
 でも、美開運メイクのレッスンを受けてから、すごくすごく私にやさしくなりました。お手伝いもしてくれたり、助かっています。
 主人とも家庭内別居に近いぐらいに、話もしていなかったのが、めちゃくちゃやさしくなって「可愛いねっ」「芸能人のあの人に似てるよね」とか。
新婚に戻ったような気分です。
本当にすごい変化です。
 周りの人がみんな優しくなりました。
それでも、やっぱり未熟で落ち込んだり、怒ったりしちゃうときは、トイレに行って、鏡を見るんです。
ツヤツヤの顔を見ていると、
「大丈夫、大丈夫。ここからは絶対いいことしか起きない。いつか、いい状況に変わる」
って思えます。きっと顔がくすんでいたら、そういう気持の切り替えもできませんよね。
ツヤツヤの陶器肌、心から笑顔になれます。



七十代の私も美開運メイクで若くてキレイ
話題のテーマパークで人気店に飛び込み営業したら一発で成約


茨城県 平井恵美子さん


人生の苦労をすべて背負ってきた人生、もう、おしまい
 人生の苦労をすべて背負っていると、自分の親族に言われながらも私は前向きに、心を楽しくして過ごそうと生きてきました。
 そして、気がつけば七十代。
お化粧とは縁遠い人生でしたが、親しい知人が、斎藤一人さんのお弟子さんの一人である舛岡はなゑさんから〝美開運メイク〟を伝授され、美開運メイクの講師になったという話を聞いて、レッスンを受けてみたのです。
 メイク道具が並べられた鏡の前に座った私。
ふだんはノーメイクで農作業を行い、たいしてお顔のケアもしていない私の顔はシミ、シワだらけ。
それが、美開運メイクによってツヤツヤに輝きだし、お肌の自然美が引き出されていきました。
 七十代の私にも抵抗感がなく、自分で自分のことをとても愛おしく感じ、
「ずっと自分の顔を見ていたい」
と、心から思いました。今まで体験したことのないメイクでした。

私たちのつくった無農薬野菜が連日完売
心が明るく弾む思い。
このまま自宅に帰るのはもったいない。
私の陶器肌を皆さんに見てほしい。
私は、全国ネットのテレビでも紹介された体験型農業テーマパーク内にある、おしゃれなお店に立ち寄りました。
 そして、思ったのです。
「ウチの野菜を出せたらステキだな」と。
 実は、私は夫と障害者施設を運営しており、障害のある方たちと四季折々に無農薬野菜を作っています。
みんなで丹精こめて育てた野菜が、このお店に並んでいる様子を想像してみました。畑で汗するみんなの喜ぶ顔が浮かび、ワクワクします。
 ここのお店は、地元実力者の紹介状がないと新規参入は難しいと聞いていたのですが、私は〝ダメもと〟でお店の方に声をかけてみました。
こういうのを「飛び込み営業」と言うんですってね。まさか、自分がそんなことをするなんて!どこからそんな勇気がわいてきたのでしょうか。
もっと不思議なのは、ふつう飛び込み営業というのは成功率があまりよくないでしょう。しかも、私はビジネスマンではなく、畑を耕している人間なのです。それなのに、その場で担当の方と交渉でき、奇跡的に取り扱いOK! 成約にいたったのです。 なんて、ついているんでしょう! 
しかも、販売が始まると、ありがたいことに私たちがつくった野菜は大人気。連日売れきれてしまうぐらい、ご好評をいただいています。

私にとって一番の美開運、
「恵美子」と名づけてくれた母に感謝できたこと

「つれあいの老いの姿に我を見る」
美開運メイクをする前の私は、老いをあきらめ、嘆く気持ちを川柳で表現していました。
そうすることで、ある意味、自分を癒していたのでしょう。
 でも最近は、気がつくと鏡の前に座っている自分がいます。美開運メイクをした自分の顔を見ていると、うれしいのです。
幸せなんです。
 いまの自分がいとおしくてたまりません。
美開運メイクと出会う前は、自分が嫌でした。自分の名前も好きではありませんでした。
ちなみに、私の名前は「恵美子」。
美しさに恵まれていないのに「恵美子」だなんて――私はもの心ついた頃から思っていました。そんな私が、美開運メイクをして、はじめてなんです。
おかあさん、私に「恵美子」という名前をつけてくれて、ありがとう。
そして、私を生んでくれてありがとう。私は今、しあわせです。



在宅介護、失業の不安が一瞬にして消え、
仕事運絶好調


新潟県 ともみさん


笑顔がトレードマークの自分、なのに笑えない!
 今春、大好きな祖父が持病の悪化で救急搬送されました。
約一カ月後、祖父は退院。着替えや入浴など当たり前にできていたことができなくなったため、祖父を在宅で介護することに。
ただ、私たち家族は全員お勤めをしていて、理想の介護をしてあげられません。しかも、祖父は元・職人で、昔気質な性格。デイサービスなどを受けたがらない。私たち家族がいない間、もし祖父に何かがあったら、と思うと私は心配で心配でたまりませんでした。
 さらにまた、私は仕事上の悩みも抱えていました。私は歯科技工士をしているのですが、この春から内部でしていた仕事を外部の業者に出すことになったのです。そのため、上司から「あなたの仕事が減るよ」と言われていました。

自分にウソをつくのはもうイヤ!
 あの頃の私は私ではありませんでしたね。鏡を見たら、笑顔がなかった。
笑ってない私は私じゃない――鏡で笑顔の練習をしようとしたら、悲しくなってしまいました。自分が自分にウソをついているような気がしたからです。
あのとき、他人に対してやさしくできなかったけれど、それ以上に、自分自身にやさしくなかったですね。
 美開運メイクのレッスンを受けたのは、こんな状態のときでした。
美開運メイクの癒しはすごいですね。仕上がって鏡を見たら、私、笑っていました。自分のなかから、自然と笑みがこぼれた感じです。
そして、祖父のことは、過剰に心配するよりも、笑顔にすることを最優先に考えられるようになりました。
さらに、仕事のほうでも美開運♪ 不思議と行動力がわいてきて、いまの職場にいながら新しい仕事を任せてもらえるようになりました。

私の一歩前進、阻んでいたのは意外な〝あの人〟
私は体に障害をもって生まれました。
 いま私の身長は一二八センチ。
自分のできる範囲が、健常者ほど広くありません。
 そして、小さい頃から私は〝あるフレーズ〟を聞いていました。
 何か、私がやろうとしたときに周りの人たちが言うのです。
「ムリだよ、その体で」
 段々だんだん、私自身、自分の体のことで、自分に自信が持てなくなってしまいました。
 だから、上司から「これからは仕事が減るよ」と言われたときに「お先真っ暗」に感じてしまったのです。
 私は健常者のように職業を選べない。自分の体のことを思うと、「他の仕事はできない、この仕事しかない」という気がしてなりませんでした。
「この仕事がなくなったらどうしよう」「自分を雇ってくれるところはないかも」と悪い方悪い方へと思考が傾き、それに対して反論できなかったのです。
 ところが、美開運メイクのレッスンを受け、開運のつやで輝いている自分の顔を鏡で見たときに自然と笑みがこぼれ、同時に、自分のなかからパワーが湧いてきました。そして思ったのです。
「できるかできないかは、やってみないとわからない。一度トライしてみよう」
 そして一歩前進、外部の業者さんに出すと決まった仕事を「私に任せてもらえませんか」と上司に提案したところ、上司の返事は「OK」
さらにうれしいことがありました。
上司から私へ、「患者さんが喜んでくれることをしよう」と、新しい仕事を提案していただき、今すでに始動しています。

美開運は続く、どこまでも
 私は仕事がなくなるどころか夢のような展開に。目の回るような忙しさがなんともうれしくて楽しくて、しかたがありません。美開運メイク、すごいです!
 そして私、最近何か違うんです。
 うまく表現できないのですが、昼間思ったことが夜になるとその通りになります。次から次と、人生がいいほうへ運ばれていっています。感謝してます。



祖父の旅立ちに〝最高の想い出〟を
ありがとう、美開運メイク


栃木県 美紀さん


祖父が見せてくれた〝最後の奇跡〟
 美開運メイクのレッスンを受けた翌日、大好きなおじいちゃんのお見舞いに行きます――という話をしたら、美開運メイクのアーティスト(講師)さんに言われたんです。 「美紀ちゃんが美開運メイクをしてお見舞いに行くと、周りの人も癒されるから、おじいちゃん、喜ぶよ~」って。
 期待はしていましたが、まさか! 病室に行ったらビックリです!
おじいちゃん、めちゃくちゃ元気になっていました。
いつもは寝ているのも辛そうで、お粥をスプーン二杯食べるのがやっと。言葉も声にならなくて、文字ボードをつかわないと、会話ができなかったおじいちゃん。そのボードにも手を持って行く元気がなかったんです。
なのに、美開運メイクをしてお見舞いに行ったその日、朝食半分食べちゃいました!
しかも、自分からスプーンを持って食べたんです!
声もしっかり出ていて、久しぶりに会話が出来ました。
終始、ご機嫌でニコニコしてくれていました。
それから約二週間後、おじいちゃんは旅立ちました。

「美紀は、ばあさんに似て美人だからな」
 お見舞いに行った日を境に、日に日に、目に見えてやせ細る祖父。
人って一日でこんなにやせるんだ――本当に驚くようなスピードでした。
確実に、急速に、死に向かっていったのです。
それなので、やっぱり奇跡だったんです。
美開運メイクの翌日、急にたくさん食べてくれのは。
会話ができるようになったのは。
あれがおじいちゃんとの最後の会話になりました。
息子と祖母を交えて、祖父の言葉にみんなで大笑いした時間。
本当に宝物になりました。
 気愛を入れて美開運メイクをしていったおかげでしょうか。キレイにしていってよかった。
 無口な祖父なのに「美紀はばあさんに似て美人だな」と一度だけ、
言ってくれたのを思い出しました。
 旅立って間もない頃はいっぱい泣いちゃったけど、また祖父に「美人だな♪」って言ってもらえるように、美開運メイクを続けていきます。
 本当にありがとうございました。